昭和62年の今日、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介が死ぬ。戦後は「保守反動の権化」といわれ、安保闘争の時、首相官邸前に集まった数万のデモ隊が「岸を倒せ!岸を倒せ!」と一斉にシュプレヒコールを上げる中で平然と執務していたという話は有名。でも、戦前は反対に「アカ」の頭目と見なされていた。岸を「アカ」と呼んだのは自由主義者で時の商工大臣の小林一三。実際、岸信介が満州国で実験し、その後日本に持ち込んだ経済システムとはソヴィエット・ロシアの影響を色濃く受けた計画経済体制であった。
岸信介は満州国の建設に直接関与した。満州国は当時日の出の勢いにあったソ連の計画経済システムをそのまま輸入するため当時の満鉄調査部員をソ連に出張させてそのやり方を学ばせる。ソ連が使っていた産業連関表も満州国で最初に採用された。右翼と左翼は考え方が似ているのだ。岸信介はその後、日本に帰り商工省次官となり、満州国の計画経済システムをそのまま日本に輸入しようとして、自由経済の信奉者で商工大臣の小林一三と対立する。小林は岸の反自由経済思想を「アカ」と呼んで攻撃したが、結局は岸が勝つ(妖怪たる所以だ)。このシステムは現在に至るまで日本の基幹システムとして定着している(「40年体制」と呼ばれる)。現代日本システムが社会主義体制に酷似している理由はここから来る。岸信介が持ち込んだものだ。
岸信介は律儀な人間でもあった。満州時代からの愛人を最後まで面倒をみた。彼女の葬式にも出席し、愛人家族と共に写真に収まっている。普通の政治家はそんなことはとてもやらないだろうが、岸の場合、あまりに堂々としていたので、マスコミも結局騒ぎはしなかった。真面目な人間ほど、やっかいなものだ。
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